●どういう環境でお生まれになったんでしょうか。
えーっと新興住宅地でですね、母親が声楽をやってて、ピアノの先生かなんかもやってて。父親も声楽家で、ピアノを教えたりしてて。そういうご家庭に生まれました。
●音楽一家ですね。
そうですね。
●今でもやってらっしゃるんですか。
母親は、もうピアノの先生だけですね。父親とは別れちゃったんで・・・・・・新しい父親が、今いますけども。
●一番古い記憶って何ですか。
ピアノのレッスンの音ですね。バイエルの。隣の部屋で。2、3才の頃ですけど、隣の部屋で、母親が生徒を教えている、そういう音、ですね。ずっと、朝から晩まで、母親が教えているわけですよね?で、一応お手伝いさんが来てて面倒見てもらってるんですけど、何か、気がつけば一日中流れているという。旋律とか思い出せるんですよね。
●どういうお母さんでした?
母親は・・・・・・大らかな人でしたけど。楽天家で。離婚した後も、楽天家でしたけれども。自由奔放にしてくれて。
●一人っ子だったんですか。
一人っ子です。
●どういう子供でした?例えば幼稚園入る前とか。
すごく内弁慶な子って言うか、母親が全て、でした。母親が全てだったから、集団生活とか嫌いだったんですね。保育園の、ああいう人がいっぱいいる所とか、ダメで。で、保育園に入るか入らないかぐらいに、もう父親と離婚してたんで、小さい頃はほんママっ子で。離れるのがヤだ、とかそういう感じだったと思います。
●じゃ、お父さんと離婚された時は、全然記憶にはないんですか。
えっと・・・・・・。
●そもそも、お父さんの記憶ってないんじゃないですか。
ほとんどないですね。
●顔も分からないっていう?
顔は後から写真とかで憶えてたり。小学生の時にアルバム見てて、『あ、お父さんだ』って言うのはありますけど、ほんと、リアルタイムの記憶は、ないですね。あの、再婚したのが僕が小学校4年か5年ぐらいの時なんですよ。だから、それから後のってのはありますけど。いわゆる多感な時期と言うか、3才とか4才とか5才、6才とかの時の部分では、全く皆無ですね。
●じゃ、お母さんっ子で甘えん坊で、外に出たらダメな子っていう。
ええ。
●保育園、幼稚園の思い出って、何かありますか。
・・・・・・んー、そうですね、母親がちょっと迎えに来るのが遅かった事とか。忙しい時には近所の家にあずけられたりしてるんですよね。で、そのお家の人が迎えに来てくれた事とか。やっぱり普通の家庭とは違うんだなっていうのを、何となく。みんな早くお家の人が迎えに来て、僕は近所のおばさんが迎えに来て。で、保育園が嫌いだ、と。あ、でもね、絵を描かせるような保育園みたいでね。だから、絵を描くのはすごい好きだった。あとテレビを見るのが好きだったんですよんですよ、映画とか母親がすごく好きで。父親もいないし、9時とか10時ぐらいまで起こしてくれてて、一緒に映画見たりとかして。僕も、母親が見る番組ばかり見てましたから。オペラとか。
●じゃ、外で暴れ回るよりも、むしろテレビとか映画を見たり絵を描いたりとか。
ええ、ものを作ったりとか。段ボールジョキジョキ切って作ったりとか。
●小学生ぐらいになると、どうですか。
バカだったんですね。
●入っていきなり?
バカだったんですよ(笑)。絵とかを教える保育園だったじゃないですか。普通は小学校入るまでに、一応『あ』から『ん』まで書けて、名前も書けて、まあ、10足す10ぐらいまでは分かるとか、ヘタな子は掛け算まで分かるとかするわけじゃないですか。そういう事、一切やんなかったんですよ。だから全くバカだったんです(笑)。ほんとに。
●入って、いきなり「ウワーッ、俺はバカだ」みたいな。
ええ(笑)。バカ。
●結構ショックだったでしょ。
ん、一番のバカの要因って言うのは、いわゆる協調性に欠けるって所だったと思うんですよ。そういう集団生活の中で、『いいですか、みなさん。″あ″というのはこうやって書くんですよ』っていうのが、聞く耳持たずっていう(笑)。こう、周囲にたくさんの人がいてっていうのが、まず大きな壁としてあって。それを吸収するだけの許容範囲がないんですよ。
●要するに、何やってんのか分かんないって状態なわけですね。
ほんとに集団生活がダメで。
●じゃあ、学校で何してたの?
木登りを。
●(笑) 何で?
車とか人を観察するのが好きで。
●木に登って、ジトーッと。
ええ。あの、猫の鳴きマネとかしてみて、人が『どこだ、どこだ?』ってやるのが好きだったりとか(笑)。
●じゃ、小学校の時は、ずっと集団生活に馴染めず終い?
そうですね。ずっとついてまわりますね・・・・・・ダメですね。
●地味な子でしたか。
地味ですね。でも暗いヤツにはならなかったんですよね。兄弟がいなかったり片親だったりっていう事から、母親がいろいろ情報源を与えてくれたりとかして。
●何ですか、情報源って。
まあ、子供の知らない事とかも、いろいろ教えてくれるわけですね。映画や、文化みたいなものを。2人しかいないですからね。
●お母さんの方も、遠藤さんと一緒のもの見たりとか、絵描かせたら結構上手みたいな所で、何か嬉しかったんじゃないですかね
ああ、どうですかねえ。生活レヴェルにおいては子供扱いしてましたけど、文化みたいな事に対しては、、子供として扱うよりも・・・・・・って感じだったと思うんですけど。だから、映画でキスシーンとかあっても、見ちゃダメ、とかそういうこと言わなかったし。
●例えば再婚って言うのは、遠藤さんの小学校の時の大事件には入らないんですか。
やっぱり、母親には父親が必要だし。僕には父親が必要かどうか分かんないですけど、まあ、母親には幸せが必要なんでしょうからっていう見方をしてた、 と思うんですけど。特に自分にとって父親が欲しいってのは、全くなくて。
●お母さんとの2人っきりの世界じゃなくなるわけですよね。
そうですね。でもそれよりも5年生とか6年生になってくると、父親の、自分に対する育て方っていうのが変ってくるんですよね。自分もある程度の自我が出てきて、中学生の多感な時期に対して父親が、父親としての像を出してくるわけですよね。その辺で、ちょっと問題が出始めましたけど。
●問題?
やっぱり、母親にずっと育てられてたんで。
●ま、一人っ子でお母さんだけって言うと、強力に子宮の中ですよね。
そう、形成されちゃってるんで。だから、同じ物事を伝えるのでも、僕は母親との話し方によって、コミュニケーションのとり方っていうのを学んでますよね。それが、父親という存在が関ってくると、やっぱり恐怖でしたよね。父親の出す″ガーン″っていうパワーみたいなものに対する。ドアをバタン!と閉める、とか。
●男っぽさ、ですよね。
うん、それが、ヘンだなって。
●中学校ではどうでした?
学校では、ま、相変わらず協調性がないのは変わらなくて、割と休み時間でも独りでいる方が好きでしたね。ただボーッとしてて。その時あったのは、絵、でしたよね。絵を描いて、職業にできたら、いいな、と。
●何か始めたりしたんですか。
ほんとは美術系の学校に行きたかったんですよ。でも、いかんせんバカだったんで(笑)。
●まだバカだったんですか。
まだバカだったんですよ。で、やめて、普通の高校行きました。
●普通の高校行って、どうですか、学校生活は。
その頃には、もう、″我が道を行く″で、全然周囲の事とか目がいかなかったですね。
●どういう風に我が道を行ってたんでしょう。
いや、化粧したりとか。化粧は、もう中学校の時からやってましたけど・・・・・・あ、それもモメましたね(笑)。中2ぐらいの時かな、化粧したんですけど。元々、母親の化粧を借りてするのが、小さい頃から割と好きだったんで・・・・・・。
●出た。
母親がいない時に、独りで、こうかな、こうかな? って。毎日してたわけじゃないんですよ。時々。それで父親が ・・・・・・まあ、そん時はいつもより厚くファンデーションを塗ってたんですね。
●じゃ、いつもやってたんじゃないですか(笑)。
(笑) いや・・・・・・そうですね、中3ぐらいの時は、ほとんど毎日ですよね。学校行く前に、こうやって、バレない程度に。それをちょっと厚目に塗っちゃったんですね。そしたら父親に 『なんだ、おまえ、そのカッコは』『いや、ファンデーション.・・・・・・』て。『おまえは女か』か何か言われて、『別にいいじゃない』みたいな事を確か言って。『化粧しちゃいけないって校則はないでしょ』とか言って(笑)。でも、常識で判断しろって事で。で、その時、塾と家庭教師の先生がいて、その人がくだけた、ちょっと年いったオバサンだったんですけど、そいいうものに対する理解が全然あったんですよ。だから、ちょっと説明してくれて。勉強がんばるから、お化粧は許してあげなさい、みたいな(笑)。そんな感じじゃなかったかなあ。
●じゃあ化粧して、「もう俺は変な奴だ!」って開き直って高校通ってたんだ?
だけど、結局やめちゃいましたけど、高校は。
●何で?
洋服が、どうしてもやりたくなったんですよ。絵はもちろんやりたいっていうのはあったんですけど、それは後からでも追いつくなってのはあって、洋服のデザインをしたいなっていう欲求が、ものすごく強くなっちゃって。で、その辺に対してはすごくワガママですから、いても立ってもいられなくなったんですね。高校一年の夏休みぐらいに。それで、やめますって。両親とは大ゲンカしたんですけど。父親と部屋の中で殴り合いをしまして。ま、今から考えると、ムリないと思いますけどね。で、働きながら行くという事で了解を得まして、OKしてもらった、という。
●よくOKしてもらいましたね。
半分、勘当まではいかないですけど、まあ、あきらめたっていう感じですよね。もちろん、母親も大反対しましたけど。
●でも、そんな遠藤君にしたのは、お母さんなのに。
あの、これは血、みたいのがあるみたいで。前の父親が、やっぱりそういう人だったらしいんですよ。自分の好きなものに対しては、もうあと先考えない、という。だから、血なのかな、なんて思ったりするんですけど。その辺が、母親の理解できたところだと思いますけどね。
●それから?
しばらくアルバイトとかして。で、その後服飾デザインの学校に行って。17かな。アルバイトはいろいろやってて。原宿で靴屋とか、洋服屋さんとか、カフェバーとかで働いてたんですけど。
●ソレっぽいとこばっかりですね(笑)。
ああ、でも、ハンバーガー・ショップとかもやりましたよ(笑)。今のマネージャーと一緒にやってて。あ、で……15の時ぐらいから、もう森岡と知り合ってるんですよ。だから、学校やめるかやめないか、の頃も既に知ってたから。バンドも始めてたし。今のマネージャーさんも、その時からの知り合いだし。
●その頃の遠藤さんは、もう異常にスサんで、もうどうしようもない男だって、森岡さん言ってましたけど。
家庭とかともうまくいってなかったりして、働いてる所でも、何か協調性に欠けてるんですよね。何かしら問題とか起こったりして。例えば、洋服を売るときとかでも、『ほら、これ、いいですよ!』なんて言えないわけですよ(笑)
●そうでしょうね。あなたが物を売ってる姿は、想像できません。
まあ、座ってるのみ、だったりとか(笑)
●使えねえバイトとして。
ハンバーガー屋でも表に出ませんでした。ウラで作っておりました。でも、一番大きかったのは、家庭の問題でしたけど。やっぱり、精神的に・・・・・・元からあまり強い人間ではなかったんで。今では、強いにんげんだなぁって思っちゃいますけど、対人恐怖症だったんですよ。人と会って、話したりするのがダメだったりとか。そういうのにすごく陥ってたんですね。
●突然その暴力事件を機に?
元々そういう資質はあったと思うんですけど。何か、人の目が恐かったりとか、人の意見がものすごく気になったりとか。
●何でそんなのが、急に前面に出ちゃっんでしょう。
自分に対しての自信とか、自分の進むべきものが、明確に見えてなかったからじゃないか、と思いますけどね。
●要するに、父親も母親も敵に回ってしまったって事で、一気にそれが不安になってしまった、と。ましてや、学校すらやめてしまったし。
だからね、居場所がなかった。家に帰っても、冷遇とは言わないですけど、ま、理解されてないわけですよね。そうすると、ほんとに、芝浦の倉庫の所で寝たりとかですね、そっちの方が気持ちよかったりして(笑)。そうなんですよ。あの辺散歩するの、好きだったんですよ。
●フラフラし始めた、と。ツバキハウスもその一環ですか。
ええ。すっごい退廃してましたよね。だから、アルバイトが終わって、夜9時とか10時ぐらいに入って、朝までいて、ドヨーンとしてた、という・・・・・・。
●何考えてたんですか。
んー、何も考えてなかったですね。って言う方が正解だと思いますけど。何もない状態で・・・・・・そこで気持ちいい、と思っちゃって。ま、ちなみにねた場所を紹介していくとですね、新宿ロフトの横の駐車場ってございましたね。あそこで寝てました(笑)。それから代々木公演。寝ました。それから、東銀座、地下鉄の階段下りてくとございますね。雨が降ってまして、で、階段下りてくとシャッターが閉まってますよね。中までは入れなくて。そこで、真冬に寝たりとかしました。それから(笑)、原宿に東郷神社ってございますね。そこの境内の下。寝ました(笑)。
●どこが一番心地良かったですか(笑)。
えーっと、芝浦はちょっと湿気は多かったですけど、気持ち良かったですね。
●何じゃそりゃ(笑)。やっぱ、殺伐とした場所で寝るっていうのが、一番遠藤さんの殺伐とした状況にマッチしてたんですか。
そうですね・・・・・・。
●人に迷惑をかけないパターンですね。
そう・・・・・・ケンカとかもしましたけどね。あの、パンクスの人にケンカ売られましてツバキハウスか何かの帰りにガード下か何かで。絶好のシチュエーションですよね(笑)。で、ナイフを持ってまして、ちょっと足を切られたりとかして。足のこの辺を、スパッと。まだ、傷はありますけどね。
●ボロボロの時期ですねえ。救いになる女性とかいなかったの?
ツバキハウスに行き始めて、15ぐらいの時に、知り合った女の人がいまして。ま、ちゃんと付き合ったのはほんとに初めてですね。いや、ほんと、ツバキハウスで会って、次の日が日曜日なら、次の日の昼頃会うっていうような感じでね。もう、2人ともドップリハマッてましたけど。ネガティブな、ダーク・ワールドに(笑)。2人で黒い服とか着てですね、ドヨーンと歩いたとかして。聴く音楽は、キャバレー・ヴォルテールとか、ソフト・セルとか、キリング・ジョークとか聴いて。彼女の家に遊びに行ってそういうのを聴いたりしましたね。ドヨーンと座りながら。
●(笑)地獄のような付き合いですね。
ええ。へへへっ。
●盛り上がったんですか、2人の愛は。
あんまり、外を手つないで歩いたりっていうのはなかったですし・・・・・・何か、そういう盛り上がるって言うよりは、盛り下がり方で、ものすごくダーク・ワールドに浸りきってたっていう。2人で旅行行って、1週間ぐらい音沙汰がないっていう。大阪の方とか回ってライヴすっぽかして。彼女の友達の家に泊まったり、ホテルに泊まったりとかして、ただブラブラしてただけなんですけどね。通天閣に登ったりしましたね。
●暗くなりながらも、それを楽しんでる、みたいな感じじゃないの。
ま、よくありがちな・・・・・・。
●通天閣に登って、ここから2人で死のうか、みたいな。
そんな(笑)。昭和枯れすすき、じゃないんだから。
●どういう会話をしたんですか、彼女とは。
会話少ないんですよ(笑)、ほんとに。『これ、美味しいと思わない?』『ああ、そうだね』みたいな(笑)。1分間に1会話、みたいな。
●「SEXしようか」「そうね」みたいな。
いや、そこは・・・・・・。
●そこは激しかったですか。
いや、その辺は、ごく自然に、成りゆきで。
●何でバンドを始めようと思ったんですかね。
高校入ってすぐぐらいの時に、ちょこっとバンド組んだりとかはしてたんで。ま、洋服かバンドかどっちかだなっていうのは、あったんですよ。
●森岡さんとは、どういう話で盛り上がったんですか。
割とね、彼とは、やっぱり精神的な部分だったりとか、アートに関する話とか、そういうものに対して、すごく共通してましたね。例えば、人間のあり方とか。人間が持ってるパワーだったりとか。あと、宇宙と人間の関係について、とかね。そういう事を話してましたね、彼の家に泊まりに行って。
●よく泊まりに行ってたんですか。
ええ。で、遊びに行くと、お母さんがとても丁重なお迎えをして下さってですね、彼の部屋に通してくれるんですけど。そうすると、彼が寝てたりとかして。ふとピアノの所とか見ると、ブロン液の空き箱とかいっぱいあって。ドアをちょっと開けようとすると、ブロン液がゴロゴロ転がったりしてたんですよ。そんな感じだったんですね。
●なるほど。あのドラッグ話は本当だったんですね。ただあの時は、いかにも高級なドラッグをやってるような口ぶりでしたけど、実は、ブロン液だったんだ(笑)。
いや、でもね、その頃はまだだと思いますけど、もうちょっとしたら、やってたと思いますよ。
●そんな事フォローして、どうすんだよっつーの(笑)。ウチのメンバーは高級だぞっていう。
今は、やってませんけど。
●そうですよね。そういうのには、参加したりとかしなかったんですか。
僕は、嫌いだったんです。ネガティブ人間が、クスリとかやったら、もう手がつけられなくなるでしょうね。シド・ヴィシャスみたいになっちゃいますね(笑)。僕なんか、彼以上にネガティブだから。ドヨーンとした人間がクスリとかやってたら・・・・・・。
●今、ずっと話を聞いてるとね、遠藤さんって言うのは、ある意味で抑制された感じがするんですよ。だからハチャメチャな事やってはいるんだけど、何か、ほんとに醜い事とか、ほんとにカッコ悪い事とかね、そういうムキ出しのハチャメチャな部分がない人だなあって感じがするんですけど。そういうの自分ではどう思ってます?
そうですね・・・・・・多分、本質的に持っているっていうものが、落ち着いてる、精神的に安定してる人間だと思うんですよ。だから、とことん精神的にまいった状態だったとしても、自分を死に追いやるほど、まいったっていうのはないと思うし。
●いや、死に追いやるっていうの、また、それはそれでカッコイイんですけど、ほんとに、何かブザマな事とかさ、笑っちゃうような事って言うのは、絶対ないじゃないですか。
ああ。結構ぬかりのない人間かもしれないですね。そういう・・・・・・ああ、なるほどね。何か普段の生活でも―――。
●普段の生活でも見た事ないですもん。
そうですよね。それはよく言われるんですけど、それは、自然なんですよね。何でなんでしょうかね。でも、ファスナーを開けたまんま、舞台に立っちゃうとか、ステージに立っちゃうって事とかは、やっぱりありますよ。
●そうそう、そのファスナー全開に相当するものがすごく少ないという気がするんですよね。今日ウンコもらして、パンツについてるんですよ、みたいなさぁ。
いや、ウンコは・・・・・あ、野グソとかしましたよ(笑)、小学校の時。いや、あ!僕ね、トイレ恐怖症だったんですよ。学校でトイレ行くのが、ものすごくヤで。みんなそうだと思うんですけど、小学校の時とか、学校でウンコとかすると 、大変じゃないですか。言われますよね。だから、あんまり・・・・・・僕、どっちかと言うと胃下垂なんですよ。それで、すごく神経質になっちゃって、毎日セイロガン飲んでたんですよね。ま、野グソしたって言うのは、ウソですけど、トイレとか行くのは、嫌だったんですね。
●しょっちゅうウンコがしたくなるくせに、トイレ恐怖症だと。
そう、家に帰るまで我慢するしかなかったっていう。
●なるほど。でも、全体的に自分をさらす事に対する恐怖心みたいなものがあって―――。
いや、全然ないですよ、そんなの。でも、ネタは少ないんですよ。確かに。確かにそういうのは少ないですよ、僕。できればお話してあげたいんですけど(笑)。
●すごく、綺麗な方ですよね。話してて、ハナ水たらす事はないんじゃないかって言う。
ああ。でも、唄いながらハナ水が出たりしますけどね(笑)。
●いや、ムリヤリ言わそうとはしてないんだけど、常々疑問だったもんですから。
唄ってて、こうやってフッとかやると、ハナ水がツーッとか、お客さんの顔にかかってて、あ、しまったって言うのはありますけど(笑)。
●ご協力ありがとうございました(笑)。で、話を戻しますが、話を聞いてきて思ったのは、お母さんと二人っきりだった幸福が、遠藤さんの根本的な感性と言うか、ものの捉え方みたいなのに影響してると思うし、また、それとちょうど裏の意味で、お父さん的なものに対する違和感っていうのは、すごく大きいと思うんですけども。で、後はただそれをどういう風に爆発させていくかっていうのを模索する時期だったんじゃないかと。
母親と僕が2人でいる状態と言うか、雰囲気と言うか、それは大きいと思います。ま、極端な事言っちゃえば、母親が、そういうオペラとか、ピアノとかをやってる人ではなくて、例えば八百屋のオバちゃんだったとしてもそれは変わんなかった、と思うんですよ。
●それは、どういう感じだったんですか。
えっとね・・・・・やっぱり、安息、以外の何物でもなかったですね。
●ソフト・バレエって各メンバーそれぞれが、そういう、ある種“受け入れられなかった人々”であって、それを、こうやれば受け入れられるんだって道を模索しながら、生きてるような気がするんだけども。
あ 受け入れられなかったっていうのは本当、その通りかも知れないです。あの・・・・・これはちょっと言ってもいいものかどうか分からないんですけど、両親が離婚した直後に、母親が1人と僕1人でこれから先母親も大変でしょうし、僕も可哀想だからって言うんで、父親の姉夫婦が僕をもらい受けて、養子にして育てよう、という話があったらしいんです。で、その旦那さんとか、微妙に『うちの子になりなさい』みたいな方向に向けたんですね。それをすぐに察知して、すごく嫌がって逃げ回ったらしいんですけど。それをねえ、この間コンサートで・・・・・・まあ、最初父方の人とはほとんど断絶状態だったんで、それまで完全に記憶から消えてたんだけど、突然パーッって思い出して。凄く、傷跡みたいな 感じで。
●恐かったんだ。
ヤでしたね、うん。自分をそういう精神分析すると、多分、その辺の所って後を引いてるかも知れないですね。
●それは、恐怖の光景として憶えてるんですか。
いや、精神的な圧迫感として。
●何か、どうしようもないような所に追い込まれてる、みたいな。
もちろん、あちらのお姉さん夫婦には、何の罪もないわけですけど。子供ながらに、白い紙に墨汁が一滴落ちたような感じが。その後自分は孤児院に生まれればよかったとか思ったりして、そういう不幸願望みたいのが、ずっと付いて回ったのも、それだった!っと思って。パーッと思い出しましたね。言われて、『あ、そうか!!』みたいな。その光景とか、精神状態とかっていうのが、フラッシュバックしてりして、何か自分の足元を見たような気になりましたね。
●記憶から消えるっていうのは、自分の中で、強力に抑圧してたんだね、その場面を。
かもしれない、ですね。だから、スキーをした事とかはちゃんと憶えてるんだけど、その場面については・・・・・・言われて、鮮明に思い出しましたね。あと、前の父親はオペラとかやりにドイツに行ったんですけど、例えば外国の映画とかを好んで見てたっていうのも、子供ながらに、父親がドイツにいるっていう事で、洋画の中にそれを見ようとしてたのかもしれないなって、この前ふと考えてたんですけど。
●ちょっと精神分析的になっちゃうんだけど、すごく芸術思考型のお父さんっていうのは、お母さんとダメだったわけですよね。でも、遠藤さんは、今こうしてアーティストとしてやってるじゃないですか。そこで、無意識のうちにでも、そういう境遇の比較みたいなのを、する事はあるんじゃないかな。
んー、やっぱり、似てるんだなっていうのは感じたりしますけどね。実は、つい最近死んでしまったんですけど。で、何か、父親の存在みたいのを感じるんですね。何となく。もう死んでるんですけど、何か、自分の姿に反映させて、それを見てる、みたいな。そういうのはあまり信じないんですけどね。ものを表現する人間として、自分達の生し得なかったものを反映させてるんじゃないかっていうのを、この間ふと考えたりしたんですよ。レコーディングしてる時に。変なつながりなんですけど。見ているって言うよりは、見られているって言った方が近いですね。見られてるっていうのは、さっきも言ったとおり、子供として見てるっていうのもあるだろうし、やっぱり自分も音楽をやって、似たような声質だったらしいんですけど、そういう部分で、自分の成し得なかったものを、僕に反映して見てるような所があるんじゃないかなって、何となくですけど、思ったりして。変にセンチメンタルな気持ちもないですし、父親に愛情抱くほどの思い入れもないから、とっても変なんですけどね。
●なるほどね。ある意味で遠藤さんの作品は―――大衆、お客さんに対してレコード作ってるって感じが、どんどんしなくなってきてるんですよ。何か、目の前の客じゃない、もっとそれぞれのメンバーの中にある何か抽象的なものに対して、作品を作ってるんだなって印象が、どんどん強くなってるんですけど。そういう部分があるんじゃないかな、と思うんですけど。
そうだと思います。なにか、遠くから見てくれている人がいるっていう気がいつもしてるんです。
―――end―――
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